語ることの楽しさ 聞くことの面白さ

7月10日十津川・熊野へ遊びに行き、「熊野出会いの里」へ泊めていただいた。

ここは、本宮町の高台にある見晴らしのいい、民宿であり、農業体験も出来る。

熊野出会いの里

写真は食堂から見える風景。気の流れがいい。

ご主人が楽しい方で、その世界?では有名な「麻野吉男」さんで、ゆっくりと話を聞かせていただいた。

久しぶりに「人の語り」を聞くことが出来た。麻野さんの言葉には想いがあり、伝えようとする熱がある。

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写真は、麻野吉男さんと私。ゆっくりとした空間で話を聞く。私はこの写真に写っている自分が好きだ。
こんなに寛いで人と話している自分を始めて見た。

「熊野出会いの里」は私にとって新しい出会いの場所になった。年に数度は、頭の空気を入れ変えに出かけたい。

「熊野出会いの里」と出会えたのも、新しい繋がりが生まれたのも、すべて私の友人 山本泉 のおかげです。
「泉ありがとう。役ににたってるよ。極楽で見てるだけではないね」

花火

土曜日に大淀町の花火大会が開催されました。

我が家の窓から遠くですが、楽しむことが出来ました。

花火の撮影は難しそうですが、デジタルカメラでも簡単に撮影することできます。

花火

きっちりとした花火の写真を撮るには、まず三脚に固定します。

そしてシャッタースピードを長時間露光(1~8秒)くらいで設定して撮影します。
最近のデジカメでしたら、花火モードや夜景モードに設定すると綺麗に撮影できます。

下の写真は、デジカメを夜景モードにして、三脚に付けずにわざとブラした写真です。

花火2

不思議な花火が撮影できます。

従来失せず

「従来失せず、なんぞ追尋(ついじん)を用いん」

という言葉が「十牛図」の一番最初にある。

「十牛図」は、牛を探し、見つけ、飼いならすまでを、10枚の絵に現した、禅の教えである。

もちろん、牛とは自己のことである。

自己を求め、発見し、理解し、そして開放する。その流れが分かりやすく説明されている。

私は、この「十牛図」の冒頭の言葉が好きだ。

私たちは何も失っていないのに、いつも何かを捜し求めている.
探しているから見つけなければならない。

私たちは、過不足のない生活に我慢できないのかもしれない。

自分の現実を薄く薄くスライスしていくと、そこには「今」がある。
この「今」はどんな状況でも、充足していると感じることができる。

現実に、過去と未来という不純物がプラスされると、そこに過不足が生まれるようだ。

現実だけを見据えて生きるというのは、とてつもなく難しいことのようだ。

「従来失せず。 」ほんとうにそうだと思う。

何も失っていないのに、私は、いったい何を探しているのだろう。

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ちくま文庫から出ている「十牛図」の本。