サンキャッチャー 

友人が制作したアクセサリーを持って遊びに来てくれた。

その中の一つがサンキャッチャー。

少し西に傾いた太陽の光を受けて、美しく輝いている。

クリスタルを通過する光りは、プリズムのように光りを虹色にして、放出する。

 万華鏡の中に迷い込んだように幻想的で光りに溢れている。

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 サンキャッチャーの光りを手で受ける。

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太陽の光がサンキャッチャーの中で散らばり、手に反射する。

制作者のぱなぬふぁさんは、人と人を繋ぐアクセサリーを作りだす。

切れかけた糸を紡ぐように心と心を繋ぐ。

一つずつは小さな部品でしかないビーズが、細い糸で繋がり美しい模様を作り出すように。

両手で光りを受けている人は、和太鼓インストラクターの容子さん。

表現者である容子さんは、差し出した手で光りと挨拶をする。

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光りを両の手で受けてもらう。

尾崎放哉に、「いれものがない両手でうける 」という句がある。

両の手の中で輝き、散らばる光りを見ていると、放哉の心が少し解りかけたような気がする。

ギターを聴く

ゴンチチから始まり、ジャズのジョー・パス、ボサ・ノヴァのジョアン・ジルベルト、フラメンコのパコ・デ・ルシア。そしてクラシックギターの村治佳織。

いずれの音楽性も高く、聴いていてその技巧と表現力に圧倒される。

その中で、最高に心惹かれたのが、村治佳織。

真剣にクラシックギターを聴くのは初めてだけれど、その豊かな音楽性には感動した。

村治佳織のギターは、正確なピッチ、高度なテクニック、しかしそれを感じさせない品格の良さ。

抑制された表現。すべてが整って、美しい音楽を奏でる。

非常にピュアな表現と音。

この方のバッハを聴いてみたいと思った。

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Comme À La Radio ラジオのように

アラン・ロブグリエの訃報を知り、 「去年マリエンバード」を思い出した。

「広島、わが愛」からマルグリット・デュラスへ、「モデラートカンタービレ」へ

「インディア・ソング」からヌーベルバーグへ

マン・レイからシュールレアリストへ

マヤ・デーレン 午後の網目へ

ブルトンやトリスタン・ツァラ

ロートレアモン

アッジェのパリ

そして、ラジオのように 

記憶の糸車が、ノイズと共に回っている  

毎日々、レコードがすり切れるほどに繰り返し聞いた音楽。

ブリジットフォンテーヌのディープ・ヴォイス

アレスキー・ベルカセムの粋なパーカッション

ア-ト・アンサンブル・オブ・シカゴの前衛ジャズを彷彿とさせる演奏

すべてが新鮮で、とってもシュールだった。

そう、とてもシュールを感じた音楽。

  

遠く交錯する知識の織物に浮き出す一枚のアルバム

そして、このアルバムのライナーノーツは、間章によって書かれていた。

間章から阿部薫へ、そしてコルトレーンへ

もう少し私の思い出に身を任せよう。

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