愛語

良寛さんの愛したものに「愛語」というものがある。

これは、道元禅師の「正法眼蔵」に書かれているもので、「愛語」とは慈悲のある言葉、慈悲からおこる言葉という意味だと思う。

良寛さんは、この文章を全文書き写したりしている。

太陽の別冊、「良寛」の巻末に付いていたものを切り取り、壁に貼って時々眺めている。

私は書の世界には暗いのだけど、この良寛さんの書には暖かいものを感じる。

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私は道元という人に、意味も無く「厳しい人」という先入観があった。

この「愛語」を眺めていると、これを書いた道元、書き写した良寛の慈悲のようなものが伝わってくる。

「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり、愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」

愛語には、世界を、人を変える力があると書いてある。私もそのような言葉を持ちたいと切に思う。すべての人が「愛語」を持つとき世界は変わる。

良寛さんを通じて「愛語」という良い言葉を知ることが出来てとても嬉しかった。

しかし鎌倉時代に「愛」という言葉がこのように使われているとは、奥が深い。

モノクロームの憂鬱

なぜモノクロームに惹かれるのか。

どうして、モノクロームで撮る街は寂しいのか。

即物的に配置される街の風景と少し距離をとり、そして、眺める。

モノクロームに単純化される風景は、表層を取り落としたように、どこか物憂げで寂しい。

カラー写真に比べて、より心象が表現されやすいのだろうか。

それとも、心象的な風景に私自身が反応しやすいのだろうか。

街で撮影するモノクロームは、いつも、どこか、憂鬱だ。

 

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