良寛さんの愛したものに「愛語」というものがある。
これは、道元禅師の「正法眼蔵」に書かれているもので、「愛語」とは慈悲のある言葉、慈悲からおこる言葉という意味だと思う。
良寛さんは、この文章を全文書き写したりしている。
太陽の別冊、「良寛」の巻末に付いていたものを切り取り、壁に貼って時々眺めている。
私は書の世界には暗いのだけど、この良寛さんの書には暖かいものを感じる。
私は道元という人に、意味も無く「厳しい人」という先入観があった。
この「愛語」を眺めていると、これを書いた道元、書き写した良寛の慈悲のようなものが伝わってくる。
「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり、愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」
愛語には、世界を、人を変える力があると書いてある。私もそのような言葉を持ちたいと切に思う。すべての人が「愛語」を持つとき世界は変わる。
良寛さんを通じて「愛語」という良い言葉を知ることが出来てとても嬉しかった。
しかし鎌倉時代に「愛」という言葉がこのように使われているとは、奥が深い。