感覚・・・写真についての覚書

カメラを持って歩いていると、はやり感覚が敏感になる。

出会いたい感覚があるのかもしれない。

心の微かな揺れを増幅し、身体全体で感じようとする。

私にとって、写真は自分の出会いたい感覚のコレクションかもしれない。

感覚をカメラで捉え、写真にするときに「表現」が必要になるのだろう。

自分が感じたものをそこなうことなく、写真上に現そうという思いが「表現」を見いだす。

表現とは、私の場合、世界と自分が出会う「様式」の新しい発見というところだろうか。

新しい様式はいつか捨てなければならない。

表現はいつしか眼の癖になり、自分自身を拘束する。

表現を手放し、感覚を得る。

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この作業をこの先どこまで続けるのだろう。

きっと自分を求めなくなるまで。

下方の階段の写真をよく見ている。

今の私にとっての好ましい感覚。

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空っぽの手、空っぽのこころ

友人のブログにコメントを書いているときに、誰かが囁くように、この言葉が浮かんできた。

空っぽの手、空っぽのこころ。

今、一番お気に入りの言葉。

この言葉を心に浮かべると、少し落ち着く。

心身が軽くなる。

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雨の降った夕暮れ時、犬の散歩の時に虹を見た。

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公園のフェンスの向こうにバラが咲いていた。

これで十分だと気づいた。

とことこと行く

道路にこぼれる光が美しかったので、車を寄せてカメラを取り出す。

クラクションを鳴らしながら、知人の車がとことこと通りすぎてゆく。

田舎の細道をゆっくりと走ると小さな花がたくさん咲いていて、鳥の声も聞こえてくる。

雑木の細道を上りきった小高い、見晴らしの良い場所で、ホッとため息をつけるようなカフェを開きたい。

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田舎の細道の向こうに素敵なお店がたくさん出来ると嬉しい。

大分で友人が案内してくれたパン屋さんもぬかるみの細道の向こうにあった。大きな、おとぎ話に出てくるようなお店だった。

吉野の宮滝には、細道の向こうに美味しいラーメン屋さんがある。

このブログにも数度登場してもらっているが、町で美味しいものを食べ尽くした方でもこの店を喜んでくれる。

熊野から来てくれた友人を案内したが喜んでもらった。

あっさりとした塩ラーメンと具がたっぷりと入ったマグロ丼が名物。

それに値段が安いということもあって、お昼は待つ人で溢れている。

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緑で覆われた、この細道のすぐ向こうにお店がある。