カメラを持って歩いていると、はやり感覚が敏感になる。
出会いたい感覚があるのかもしれない。
心の微かな揺れを増幅し、身体全体で感じようとする。
私にとって、写真は自分の出会いたい感覚のコレクションかもしれない。
感覚をカメラで捉え、写真にするときに「表現」が必要になるのだろう。
自分が感じたものをそこなうことなく、写真上に現そうという思いが「表現」を見いだす。
表現とは、私の場合、世界と自分が出会う「様式」の新しい発見というところだろうか。
新しい様式はいつか捨てなければならない。
表現はいつしか眼の癖になり、自分自身を拘束する。
表現を手放し、感覚を得る。
この作業をこの先どこまで続けるのだろう。
きっと自分を求めなくなるまで。
下方の階段の写真をよく見ている。
今の私にとっての好ましい感覚。