コダクロームの憂鬱

コダクロームの現像が中止になるというニュースを読んだ。

もう20年以上も使ったことのないフィルム。

最近はデジタルカメラでの撮影が多く、その存在さへ記憶の彼方に消えていたのに。

もうコダクロームで撮影出来ないという思いが、ものすごい欠如感を伴って去来する。

失ったものは大きい。

 

あの発色。深み。

暗部の中にさへ階調を伴い、白い雲さへ、豊かなグラデーションを演出する。

物質の奥へ、風景の深部へと見るものを誘う。

一度だけ、叶わないと知りながら、一度だけでいい

10本のコダクロームKRを持って旅に出たい。

知らない瀬戸内の町を、少し重みのあるニコンF3Pと歩いてみたい。

レンズは、50mmを1本だけ。

斜光の美しい漁港で、こころ行くまで、ファインダーを見ていたい。

ゆっくりとレバーを巻き上げる。

パトローネからフィルムが巻き取られる感覚。

絞りのリングを半分動かそう。

KRはオーバーに弱いから。

しかしシャドウは絶対に潰せない。

ぎりぎりに露出を切りつめる。

カメラと光と風景とフィルムが一つになる至高の瞬間。

シャッターが切れ、ミラーがあがる。

ファインダーが一瞬暗くなり、微かなショックが腕に伝わる。

カメラから目を離すと、きっと浜風と海鳥の声が聞こえてくるだろう。

切り取られた風景は、記憶より、なお鮮やかに、コダクロームに刻まれる。

デジタルカメラでは絶対に味わえないものを、また失ってしまった。

 

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小さな声

心を静かにして過ごしていると、小さな小さな声でささやきが聞こえる
心を澄まし、耳をそばだてる

言葉の意味はわからないけれど、伝えたいことの感じは心に伝わる

その感じをそっと心の中において、大切に時間を過ごす

光が風を横切るとき、蝶の影を見た日、木の葉の舞い立つ朝、おいしいコーヒーを飲んだとき

ふとしたきっかけで、言葉の意味に気づく

あぁと私はつぶやき

満たされた時を迎える

何度となく経巡る、小さな気づき

大切なことほど、最初のささやきは小さい

光差す影の奥に

光が紡ぐ影の奥を、凝視するように見つめる日がある。

刻まれた影が陰影を濃くし、その奥に存在するものを隠そうとしている。

まるで自分の心の奥を覗き見るように、ファインダーを凝視する。

光差す影の奥に、水の深みに、私の原初があるのかもしれない。

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