冬の夕暮れ、空を見上げる時間が増える。
赤から青への無限のグラデーションが美しい。
霜がふり、雪に覆われて、花が咲いている。
夕暮れの公園の片隅に。
花の盛りは、今、このひととき。
hinatacafeを見て下さってありがとうございます。
よい年をお迎えください。

光と風の交わる場所で
この数年に起こった「気づき」を、自分自身の記録として、自分を整理するためにまず、この文章は書き始められます。
そして、私が知るこの「気づき」を、必要とする人々とシェアするための準備でもあります。
いつの日にか、私を必要とする人が現れたときに、慌てないために、少しずつ書きためていきます。
また、今年の後半に吉野で知り合った方から、「マインドについて」「エゴについて」教えて欲しいという要請があり、そのための準備もかねて、書き溜めていきます。
ここで書かれることは、私の道程を思い出すことであり、私が私と向かい合うために書かれます。
そして人に語る言葉を準備するための練習でもあります。
師というものと巡り会うことの出来なかった私の水先案内は、多くの出会いと書籍でした。
そして写真が大切な導き手でした。
もし師というものに出会っていれば、もう少しスムーズに、時間を無駄にすることなく、自分を知ることが出来たのかもしれません。
また、師が私の前にいても、自分をオープンに出来ない私が、拒絶していたのかもしれません。
当然ですが、これからここに書かれる内容に、権威も根拠も存在しません。
ここに書かれることは全て、私の経験や体験を通じて発せられる言葉であり、ここで書かれることの根拠はすべて私自身にあります。
ここに書かれる言葉は、すべて「私の言葉」です。
私はこの「私の言葉」というものに気づくのに20年ほどの年月を要しました。
私の気づきの第一歩は、この「私の言葉」から始まります。
今から27年ほど前、私に発せられた、
「自分の言葉で話して欲しい」
という会話が、長い気づきへの旅の出発点になりました。
気まぐれに続く
写真は、自分を知るための方法の一つで、自分の魂と感性を磨くための道具です。
写真を撮るために一番必要ものは、高級なカメラや交換レンズではありません。
まず必要なものは、よく動く心・感性です。
存在を美しいと感じる心です。
そのためには、曇りのない眼差しが必要になります。
曇りのない眼差しとは、思い込まない自由な心のことです。
自分の感性を信じる心です。
被写体を人の目で見てはいけません。
人の価値観で撮影しては、あなたが消えてしまいます。
他者を意識した写真は、自分の心には響いてはきません。
自分の目で見るのです。
きっちりと自分と向かい合うことが出来たときには、写真は世界の素晴らしさを教えてくれます。
自分の感性で見るのです。
あなたが世界に心を開けば、世界もあなたに秘密を打ち明けるでしょう。
自分の心の振幅にいつも注意を払いながら、少しでも心が震えたならば、
その震えた心の意味を、カメラを通して世界に教えてもらのです。
「私はあなたが気になりました。なぜあなたに心惹かれたのでしょう」
そして、自分が心惹かれた光景や被写体を写真に収めるのです。
写真を撮り続けると、写真を通して自分と向き合う方法が分かってきます。
「今日の自分はクリアだった」「この写真は私ではない」「今日は新しい自分に出会えた」
写真は自分の心の鏡なのです。
技術はそれからゆっくりと身につけていけばいいのです。
この葉っぱには、昨日も呼び止められたのですが、カメラを持っていませんでした。
今日もまた呼ばれたので、何故呼ばれたのかを知りたくて写真に収めました。
この写真を眺めていると、「一人あることも、また素敵なことだよ」と教えてくれました。
寒さの中にあること、そのことを受け入れている光景。冬の光景は、受け入れることを教えてくれます。
夕暮れの気配は特別で、夜の訪れを、光の眠りを、その静粛さを教えてくれるようです。