私家版 写真を学ぶ人のために

写真は、自分を知るための方法の一つで、自分の魂と感性を磨くための道具です。

写真を撮るために一番必要ものは、高級なカメラや交換レンズではありません。

まず必要なものは、よく動く心・感性です。

存在を美しいと感じる心です。

そのためには、曇りのない眼差しが必要になります。

曇りのない眼差しとは、思い込まない自由な心のことです。

自分の感性を信じる心です。

被写体を人の目で見てはいけません。

人の価値観で撮影しては、あなたが消えてしまいます。

他者を意識した写真は、自分の心には響いてはきません。

自分の目で見るのです。

きっちりと自分と向かい合うことが出来たときには、写真は世界の素晴らしさを教えてくれます。

自分の感性で見るのです。

あなたが世界に心を開けば、世界もあなたに秘密を打ち明けるでしょう。

自分の心の振幅にいつも注意を払いながら、少しでも心が震えたならば、

その震えた心の意味を、カメラを通して世界に教えてもらのです。

「私はあなたが気になりました。なぜあなたに心惹かれたのでしょう」

そして、自分が心惹かれた光景や被写体を写真に収めるのです。

写真を撮り続けると、写真を通して自分と向き合う方法が分かってきます。

「今日の自分はクリアだった」「この写真は私ではない」「今日は新しい自分に出会えた」

写真は自分の心の鏡なのです。

技術はそれからゆっくりと身につけていけばいいのです。

 

この葉っぱには、昨日も呼び止められたのですが、カメラを持っていませんでした。

今日もまた呼ばれたので、何故呼ばれたのかを知りたくて写真に収めました。

この写真を眺めていると、「一人あることも、また素敵なことだよ」と教えてくれました。

SDIM4266

寒さの中にあること、そのことを受け入れている光景。冬の光景は、受け入れることを教えてくれます。 

SDIM4269

SDIM4285

SDIM4293

夕暮れの気配は特別で、夜の訪れを、光の眠りを、その静粛さを教えてくれるようです。

SDIM4263-2

R0014423

孤独の意味

表現を通じて宇宙と出会いたいという思いがあるならば、その行為は孤独でなければならない。

それは、写真においても同じ事である。

その孤独を森有正は、「根源的孤独」という言葉で表現した。

「感覚はすべての思想、すべての作品の根源であって、独立していなければならぬ。
それが孤独ということの本当の意味である。
それ以外の孤独は感傷である。」

数十年を経て、やっとこの森有正の言葉の重みに気づく。

孤独とは「個」であることだと思う。

自己が個へと高まるとき、私は宇宙と出会い、そして繋がる。

この「根源的孤独」から得られる感覚は、表現となり、やがては多くの人の感覚や心に訴求するものになる。

 

2009-07-31_0704c

2009-07-31_0738bk

2009-07-31_0815

夏の気配

投げつけられたような光に、夏の昼下がりを感じるとき

蝉の声が熱に溶けて、気配が身体を覆う。

緻密さを欠く、もののありように

身体に覆い被さる熱が蜉蝣のように蒸発する。

一本の道を前に、目が感じる気配を捉える。

風景と自分との距離は微妙に変化し、招き寄せ、遠ざかる。

気配が最も濃厚になる場所に身体をシフトさせる。

この気配を演出する空間がすべて満たされる場所へ。

2009 07 23_0646_edited-2

 

2009 07 25_0686_edited-3