前衛的

仕事の合間にCDをレンタルしに出かけた。

目的は、八代亜紀さんの「舟歌」。
映画「駅STATION」で、高倉健と賠償智恵子が二人でこの曲を聴くシーンが忘れがたくて、衝動的に聞きたくなったから。この映画の居酒屋のシーンほど心に切なく沁みる場面をあまり経験したことがない。
日本人であること、昭和を生きたこと、老いに向かっていることなど、刹那に人生を振り返ってしまう。

もう一つは、ケイコ・リーのあまり上手くは無いが、なぜか愛着の湧くボーカルを聞いてみたくなった。
この方の音楽は、最初つまらない感じがするが、聞き込むとゆっくりと好きになる不思議な魅力がある。

そして前衛的といわれている菊池成孔の「南米のエリザベス・テイラー」を借りた。
内容はまずまずで、前衛であろうとするが、時代がすでに前衛を凌駕しているが故に、前衛であることが出来ない歯がゆさがある。

このCDを聞いて、前衛という言葉がすでに死語であることを感じた。
前衛が時代の先端であったときに青春を過ごすことが出来た幸せを思った。

ペルトを想う

アルボ・ペルトと出会えたことは自分の人生で大きな意味を持つ。

私がこのエストニア出身の現代音楽家から与えられた感性と霊感は、祈りという言葉と共に深く心身に沁みていった。

静謐で深淵、祈りと慈しみに満ちたペルトの音が私を満たすとき、私は深く静かに自己の内面に降下する。誤解を恐れずに書けば、遥かな高みに降下するというイメージに近い。

2000年に発売された「アリーナ」というCDは、今までとは少し違うトーンを持ちながら、その完成度は高い。

静謐という言葉ではなく、「静けさ」という言葉がふさわしい。

一音一音が丁寧に表現され、場を静けさで満たしていく。

器に喩えれば、白磁より青磁の味わいに極めて近い。

ペルト: アリーナ

妙好人

ある方と「嘆異抄」の話をしていて、別れてから「妙好人」のお話をし忘れていた事に気づいた。

「妙好」とは、「白蓮華」を意味する言葉で、泥の中から美しい華を咲かせる蓮に例えて、清らかで美しい信心をもつ信徒を「妙好人」と呼ぶ。

浄土真宗の教えをとことん突き詰め、禅の言葉でいえば「悟り」を開いた人達の事である。

浄土真宗の信心世界の到達点であり、具現者である。

妙好人の記録は、江戸後期から明治に多く、職業も農民から船大工など一在家信徒である。

彼らの残した言葉は深く、もし機会があれば是非触れて頂きたいと思う。

何も修行をした出家や禅僧が悟るのではなく、本当の信仰の境地は、市井の人々によって具現されたことが「妙好人」を通じて知ることが出来る。

文字を読むことの出来ない百姓が、他力の信仰を深めていく過程で、素晴らしい境地に至る。これはどんな出家も学者が容易に至れる世界では無い。

最近相田みつおさんが脚光を浴び、よく似た言葉や書を目にする機会があるが、日本には、名も無き市井に優れた信仰者を生み出した歴史がある。

彼らの残した言葉は、どこまでも深くそして潔い。彼らは名もない人生をただ愚直に生きたに過ぎない。「愚直」今の私から最も遠い生き方のような気がする。