「解ること」と「気づくこと」

今年の春先、
あるきっかけが与えられて、
今まで理解できなかったことの幾つかが、
一瞬に「腑に落ちる」という経験をした。

その時、あぁこれが「気づく」ことだなと思った。

解るということとは、どこか頭で理解している。
「わかっちゃいるけどやめられない」という感じ。

しかし、気づくというのは、心に入り込んでしまうので、
「一度気づいてしまったら」後戻りできない気がする。

解るということは、時間をかけて努力すれば達成できるかもしれない。

しかし気づくということは、また違うような気がする。

自分の魂が無意識に追い求めているものが、
何かのご褒美のように、
ふっと自分の心に投げ込まれる。
大きな存在からのプレゼントのようだ。

解るというのは、時間がかかるが
気づきは一瞬にやってくる。

人生の中で気づきを得ることはあまりないだろう。

今年の春先に得たものは、最初ささやかな気づきのような気がしたが、
時間を経て段々と大きな存在になっていった。

気づきはきっと、求めても得ることができないのだろう。
しかし、いつ気づきが与えられても良いような、そんな生き方をしていたいと思った。

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冬はつとめて

枕草子に
冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいとしろきも、
とありますが、冬の早朝の光りは格別に美しい。

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瞬間、瞬間に違う表情に出会う。

一息一息に、空気が変わる。

朝を全身に受け止めて一日が始まる。

白い朝

数日前に暖かい霧の日があった。

朝の散歩道はどこも真っ白で、少し離れて歩くサテの姿も薄ぼんやりとしている。

霧の日は静かで鳥の声もどこか遠くで聞こえる。

澄み切った晴れ渡る日もいいけれど、この優しさに包まれるような霧の日は特別だ。

暖かい静寂と共に歩いていると、微かに太陽がそのシルエットを現し始めた。

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