いつも同時に生まれる

何かを美しいと感じるとき、何と比べているのだろう。

出来事を必然と感じるとき、何が偶然なのだろう。

いつも同時に生まれる。

「これ良いですね」というとき私は、何と比べているのだろう。

「良い経験」と「良くない経験」 どう違うのだろうか。

意味のあることと、意味のないことはどこが違うのだろうか。

いつも同時に生まれる。

何かを感じるとき、いつもそれを否定する感情が同時に生まれる。

私はその事に気づいていなかった。

“いつも同時に生まれる” への1件の返信

  1. コメントをどうぞ    
    nobuさんのモノクロームモノクロームを見たときですが、あの6×6の画角と風景の必然と言っていい透明感、

    一方、写真帳からはみ出して邪魔する、私的な風景をもろともせず、紙のなかで力を振りまく風景、または紙のなかに静かに溶け込むデジタルカメラの風景。

    高橋 巌さんによると、 シュタイナーは講演で感情についての話を推し進めると、思考より感情が勝っていると、
    また思考を中心とした講演で話をしていると、その逆だという。

    この矛盾を高橋さんは、シュタイナーは一つの事柄に集中すると、その良いところばかりに見る力が入り、他を安んじてしまうのだろうと言われる。

    これは差別ではなく、ヒエラルキーの揺りかごにゆっくり揺られているのではないでしょうか…
    愉快ではありませんか。

    私は写真帳を見るまで、実は6×6のことで頭が一杯でした。

    でも、写真帳を見ている時は、その写真の虜に。

    しかも、その写真の私の印象を言葉で確認した私は、 私の思考の推移に感心するのです。

    揺りかごは揺れ続けます。
    コメントではないですね

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