春と知る

信号待ちの車の窓から、何げなく道ばたの草を眺めていた。

黄色い花が咲いていて、その上を白いものが二つ飛び交っている。

何が飛んでいるのかが思い出せない。

頭が少ししびれたようになった後、チョウチョだと解った。

そして、次に「なぜチョウチョが」という疑問がわいた。

あっ、そうか、「春だからチョウチョが飛んでいるのか」と納得して、

あ、春が来たのだと実感した。

納得すると同時に軽いめまいを覚えた。

春なんてとっくに来ていたのだ。

車を走らせながら、桜の花を撮影に出かけ、木蓮に感動したことを思い出した。

あのときは、春では無かったのか、いや間違いなく春だろう。

では、なぜ今春を知ったのだろう。

桜を見ているときに、吉野山を歩いているときに、なぜ春を実感出来なかったのだろう。

 

山村で暮らしていた時には、春が来たと、今日から春なのだと実感できる日があった。

とても嬉しくて、身体が軽くなり、そわそわし始める。

そんな日は、近所の人たちもうろうろとしていて、どこか楽しそうだ。

そしてその後数日してから、こぶしが白く輝き、桜が咲き始めるのだ。

 

最近は、季節を心身全体で受け止めることが出来なくなっているのかもしれない。

頭を使い過ぎているのだろう。

身体の季節と頭の季節がばらばらになってしまっている。

最近の不調の原因もこれかもしれない。

写真が面白くない原因も少し解った。

さぁ、どうしましょうと思案しながら、考えないことが一番なのかもしれないと思ったりもした。

久しぶりにカメラを持って犬の散歩に出かけた。