心を十分に動かす

世阿弥の言葉に「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」というのある。

難しくは、「動十分心、動七分身」と書くようだ。

心は十分に動かし、身体を七分に動かすと余韻のある、含みのある表現になることは、何となく理解出来る。

心のこもっていない大げさな演技ではなく、こころのこもった抑えた演技に感動することが多い。

これを写真に当てはめてみると、納得できることが幾つかある。

写真を撮るときに私が大切にしていることは、十分に心を動かすことである。

そして、それをカメラを使い、撮影し表現する。

しかし、不調になると、撮影のテクニックを使い、写真を撮るようになる。

そして、それを自分の表現だと勘違いする。

技術は、心を伝える道具なのに、その事を忘れてしまう。

 

写真が撮れなくても、心は十分に動かす。

もし心が動かないなら、写真を撮らない。

この大切なことをついつい忘れてしまう。

 

「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」

古典から習うことが多いけれど、この言葉も身に沁みる良い言葉だ。

 

 

“心を十分に動かす” への4件の返信

  1. 心が動かなければ、写真を撮らない

    うーーーん、なるほど。

    いつも忘れないでいます。

  2. こんにちは。
    表現の根幹だと思うのですが、なかなか難しい。

    テクニックが身につけば付くほど、心が動かないのに撮影が出来てしまう。

    こわいですね。

  3. 吉野の桜、きれいですね。

    ノブさんの写真に心を動かされるのは、ノブさんの心の動きを写真を通じて感じるからなんですね。

    昨日はビオダンサで心の運動を十分にしました。心の動きに体がついていっている感じでした。

    「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」、私の仕事にも通じることなので、深く心に留めておきたいと思います。

  4. こんにちは。
    ビオも自分を楽しみ表現する道具として使うと、奥が深いような感じがします。

    また一緒に踊りましょう。

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