世阿弥の言葉に「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」というのある。
難しくは、「動十分心、動七分身」と書くようだ。
心は十分に動かし、身体を七分に動かすと余韻のある、含みのある表現になることは、何となく理解出来る。
心のこもっていない大げさな演技ではなく、こころのこもった抑えた演技に感動することが多い。
これを写真に当てはめてみると、納得できることが幾つかある。
写真を撮るときに私が大切にしていることは、十分に心を動かすことである。
そして、それをカメラを使い、撮影し表現する。
しかし、不調になると、撮影のテクニックを使い、写真を撮るようになる。
そして、それを自分の表現だと勘違いする。
技術は、心を伝える道具なのに、その事を忘れてしまう。
写真が撮れなくても、心は十分に動かす。
もし心が動かないなら、写真を撮らない。
この大切なことをついつい忘れてしまう。
「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」
古典から習うことが多いけれど、この言葉も身に沁みる良い言葉だ。
心が動かなければ、写真を撮らない
うーーーん、なるほど。
いつも忘れないでいます。
こんにちは。
表現の根幹だと思うのですが、なかなか難しい。
テクニックが身につけば付くほど、心が動かないのに撮影が出来てしまう。
こわいですね。
吉野の桜、きれいですね。
ノブさんの写真に心を動かされるのは、ノブさんの心の動きを写真を通じて感じるからなんですね。
昨日はビオダンサで心の運動を十分にしました。心の動きに体がついていっている感じでした。
「心を十分に動かせ、身を七分に動かす」、私の仕事にも通じることなので、深く心に留めておきたいと思います。
こんにちは。
ビオも自分を楽しみ表現する道具として使うと、奥が深いような感じがします。
また一緒に踊りましょう。