小さい頃、暗い道を早足で駆けていくと、遠くに笛や太鼓の音が聞こえ始める。
一つ、二つ、通りなれた角を曲がると提灯の灯りが見え始める。
はやる心を抑えきれずに、なお早足になる。
人影がはっきりとしてくると、そこには近所の人たちがたくさんいてもう踊りが始まっている。
大阪の下町で生まれ育った私には、盆踊りや祭りに格別の思い出がある。
今でも神社への道を歩いていると、太鼓と鉦の音がはっきりと聞こえてくる。
しかし、地域と地域の若者に馴染めず、どこかにいつも疎外感を抱きながら生きてきた私には、大阪は遠い思い出でしかない。
10年ほど前、現実に耐え切れずに移り住んだ東吉野の人々は、私をよそ者として、しかし、住人としてきっちりと受け入れてくれた。
東吉野での暮らしは、心地のよい疎外感と、地に足の着いた連帯感を与えてくれた。
いつも旅人のように生きたいと思っていた。
しかしそんな私がもっとも恐れていたのは、「疎外感」であることに田舎暮らしは教えてくれた。
私が疎外されたのではなく、私が世界を疎外し、私が私を「疎外」していたことにも気づくことが出来た。
今年も東吉野村三尾で小さな手作りの盆踊りが行われた。
地域の人が地域の人のために盆踊りの会場を設営する。
数少ない若い人たちが、金魚すくいやヨーヨー釣りで子供たちを楽しませる。
この盆踊りには私の居場所と役割がある。
三尾での生活は自分と向き合うゆっくりとした時間をくれた。
この十年、すばらしい時間を過ごした事を、今年の盆踊り参加して改めて実感することができた。
生きとし、生けるものが、幸せでありますように。