どのようなカメラが欲しいですかと聞かれたら、
光と出会えるカメラが欲しいと迷わず答える。
出会った光をやさしく包み込み、
木々の梢に宿る光の一粒々を、
写しとるカメラが欲しいと。
私は光にカメラを向けて
ただシャッターを押す。
それ以外の事はしたくない。
美しい光景を前にして、
感じる以外に、考えることをしたくない。
光に向けてシャッターを押すだけで、
光と出会えるカメラが欲しい。
光と風の交わる場所で
中吉野地区商工会青年部主催の「女性のためのプチ修験道入門」が雨のなか開催された。
祈りの地、天川を広く知ってもらうために企画されたこのイベント、前回は台風の影響で中止になってしまった。
今回も強い雨の予報で、参加者の方の動向が心配されたが、キャンセルはゼロ。
天川に対する思いの深さが伺える。
写真は丹生川上神社下社前の紅葉。
天河大辨財天で正式参拝をする参加者
参拝の後、宮司さんの計らいで特別にこの能舞台で記念撮影。
洞川温泉に移動し、龍泉寺で護摩供養。
もてなし上手な天川の人々の細やかな気配りが随所に見受けら、雨にも関わらず参加者の方達は楽しそうだった。
天河大辨財天や龍泉寺で参加者の方々が真剣に祈っている姿を見た。
改めて、吉野は祈りの地だと思った。
祈りの地を、祈りの地として、高め守っていくこと。
祈りの心を人々に伝えていくこと。
この思いを置き去りにして、吉野という地は存在しないような気がした。
最近写真が少し雑になってきて、何が原因かを考えていた。
残心かもしれないと思った。
残心は、武道などで使われる言葉で、技をかけた後、弓を射った後も心をそこに残し、相手からの攻撃などに備える事である。
またお茶や踊りなどの芸事にも使われる、古くから有る言葉だ。
要は心を残すこと。
お茶の世界では、人との別れを惜しんで、その余韻を味わうことを「余情残心」と言うらしい。
亭主は、お客の姿が見えなくなるまで見送り、その後もすぐに片付けるのではなくて、相手の余韻を味わう。
焦って写真を撮っているからかもしれない。
シャッターを押せばすぐに次の事を考えている。
今撮影した風景に心を残し、その風景との出会いを喜び、別れを惜しんでいない。
ただ撮影しているだけなのだろう。
何か大切な事を忘れているようだ。
ちなみに、すべての動作に心を残すと、とても美しい所作になる。
書店に行って見終えた本を書棚に戻すとき、最後まできっちりと意識する。
相手に頭を下げるとき、手を振るとき、きっちりと相手のことを考える。
指先の最後まで、そこに心を置くこと。
残心をずっと続けると「今を生きる」という生き方になるのだう。
私にはほど遠いけれど。