梅雨の陰影は特別に美しい。
湿度を含んだ闇が、息を潜めて時の過ぎゆくのを見守っているようだ。
光と風の交わる場所で
梅雨の陰影は特別に美しい。
湿度を含んだ闇が、息を潜めて時の過ぎゆくのを見守っているようだ。
晴れの日は楽しい。
雨の日は嬉しい。
曇りの日は愛おしく、風の日はどこか懐かしい。
晴れには晴れの光があり、雨には雨の光がある。
このあたりまえのことがとても嬉しい。
私には偶然も必然もない。ただ日々がある。
時間の原因と結果はいつも同時に現れる。
だから私は生まれてから死んでも、死んでから生れてもどちらでも良かった。
妙好人とは、浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指すが、彼らが残した言葉には心を打つものが多い。
その妙好人が私の住んでいる大淀町鉾立にもおられたようなので、お墓参りに行ってきました。
妙好人は、浄土真宗の阿弥陀様の誓願を真摯に信じ、その世界を直感的に把握した方たちで、その言葉の輝きは、悟りを得たと言われる高僧を凌ぐことがある。
世界のありようを直感的に把握した人がいて、その人が係わる世界で、その直感に意味が変るような気がする。
その人がクリスチャンの場合、アッシジのフランチェスコのようになり、禅宗の場合、一休のようになる。真宗なら妙好人と呼ばれるのだろう。
私は、フランチェスコも一休も、清九郎も同じ世界のありようを感じたように思う。
ただその人が生きた場所、過ごした時代で、その意味が変るような気がする。
何と自由で、不自由な話だろう。