とびっきりの霧の朝
壊れた焼却炉
街灯もどこかエキゾチック
電線の向に三日月が見えて
夕陽を浴びたら
キューバの音楽でも聴きながら、
身体を少し揺らして、
自分にイエスと伝えよう。
光と風の交わる場所で
空を見上げると、雲に覆われて太陽が見えない。
花に向けたカメラを脇に提げて、
ゆっくりとその場所にたたずむ。
その場所にくつろぎ、ただ雲が去るのを待てばいい。
どうせ自分の力で雲を消すことはできないのだから。
花の姿に見とれていると、
額に暖かなエネルギーを感じる。
雲が切れ始め、ゆっくりと、おぼろげに太陽が姿を見せ始める。
草花が光を透過して、透明に輝き始めた。
雲はマインドに似ている。
本来の自分を見ようと思っても、
雲が姿を変えて現れては、太陽を被ってしまう。
少し、光が差し始めても、また次の雲が光の前を覆ってしまう。
自分の力で雲を払うことは出来ない。
太陽を覆う雲は、自分の努力や我慢で消すことは出来ない。
ただその場所にくつろぎ、雲を眺める。
そして、雲を受け入れたとき、
太陽のエネルギーで、厚い雲が少しずつ溶け始める。
雲の切れ目からゆっくりと太陽が姿を現し、
私を光で満たす。
どんな厚い雲の向こうにも、青空が拡がり、
太陽があることを私たちは知っている。
そしてその太陽の向こうには、宇宙があることも。
私は、努力している花、緊張している花、我慢している花を見たことがない。
花はその与えられた場所々で、くつろぎ、自分を受け入れている。