愛語

良寛さんの愛したものに「愛語」というものがある。

これは、道元禅師の「正法眼蔵」に書かれているもので、「愛語」とは慈悲のある言葉、慈悲からおこる言葉という意味だと思う。

良寛さんは、この文章を全文書き写したりしている。

太陽の別冊、「良寛」の巻末に付いていたものを切り取り、壁に貼って時々眺めている。

私は書の世界には暗いのだけど、この良寛さんの書には暖かいものを感じる。

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私は道元という人に、意味も無く「厳しい人」という先入観があった。

この「愛語」を眺めていると、これを書いた道元、書き写した良寛の慈悲のようなものが伝わってくる。

「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり、愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」

愛語には、世界を、人を変える力があると書いてある。私もそのような言葉を持ちたいと切に思う。すべての人が「愛語」を持つとき世界は変わる。

良寛さんを通じて「愛語」という良い言葉を知ることが出来てとても嬉しかった。

しかし鎌倉時代に「愛」という言葉がこのように使われているとは、奥が深い。

一番の修行

より良く生きることを求めて人は修行をする。

しかし一番の修行は、毎日を楽しく生きることかもしれない。

毎日を楽しく生きることが、一番の修行かもしれないと、ふっと気づいた。

いつも同時に生まれる

何かを美しいと感じるとき、何と比べているのだろう。

出来事を必然と感じるとき、何が偶然なのだろう。

いつも同時に生まれる。

「これ良いですね」というとき私は、何と比べているのだろう。

「良い経験」と「良くない経験」 どう違うのだろうか。

意味のあることと、意味のないことはどこが違うのだろうか。

いつも同時に生まれる。

何かを感じるとき、いつもそれを否定する感情が同時に生まれる。

私はその事に気づいていなかった。