この階段を

この階段を登ってきたのだろうか。

下ろうとしているのだろうか。

時々わからなくなることがある。

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流れる時間をいつも左から右へと、

過去から未来へと眺めてきた。

この時間軸を直角にずらすと、未来と過去が重なって見える。

生まれた瞬間に、遠くの方で自分の死が重なって見える。

出会った瞬間に、別れが重なって見える。

失えば得られ、得られれば失うものが見える。

小さな種に花と実が見える。

枯れていく花に小さな種が見える。

登ると同時に下り、下ると同時に登る。

この階段の途中で少し休みたい。

柔らかな日差しと、春の風が感じられると嬉しい。

疲れが薄まれば次の一歩を踏み出そう。

今の私にできることは、

登ることでもなく、下ることでもない。

一歩一歩を大切に踏み出すことだけなのだ。

久しぶりの風邪

風邪の直りが少し悪くて、話をすれば咳き込んでしまう。

もう2週間も同じ状態で、咳だけが酷くなったような気がする。

5分でも10分でも、自分の中にゆったりとした時間が必要かもしれない。

自身の身体への気づきが足らないのだろう。

こんな日は、ゆっくりと散歩するのが良いのかもしれない。

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自然の変化はゆっくりなようで、気が付けば大きく変わっている。

犬達の散歩コースもすっかり、春の装いに変わっている。

 

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仏の座が群生している。

霊鷲山で説法をする仏陀もこのような姿だったかもしれない。

この地で仏陀は、金色の蓮の花を比丘達に掲げて見せた。

この花を見て摩訶迦葉だけが微笑んだという故事がある。

仏陀の行為に意味を求めず、ただ蓮の美しさに微笑む。

ただ事象だけを見ることのなんと難しいことか。

ティク・ナット・ハンのガーター(偈)

ヴェトナム生まれの禅僧 ティク・ナット・ハンの「仏の教え ビーイング・ピース」を数年前に読んだけれどほとんど記憶に残っていない。

本の内容がつまらないのではなくて、私が読めなかったのだ。

今読んでいる本のあとがきに書かれたいた、ハン師のガーター(偈)に感動を覚えた。

 

息をすって 私はしずか、息をはいて 私はほほえむ。

この今に生きることこそが、すばらしい一瞬(ひととき)

身も心もしずかに、ほほえむ。

いまこのままが すばらしい一瞬(ひととき)

 

この言葉、私が書けば嘘になる。実感し体験したものだけが書ける言葉だ。