月うさぎで聞くケルトハープ

美しい声を持つ友人が、古民家を改装したカフェでコンサートを開いたので、訪ねてみた。

カフェの名は「月うさぎ」と言う。食事も出来るカフェで4月に東吉野村にオープンした。

小柄な彼女は、ケルトハープを持ち、クリアボイスで歌う声は、高音に伸びがあり、透明感が高い。

縁側から射す光が障子に反射して、白壁に光り心地がよい。

幻想的で素朴なハープの調べによく似合っている。

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太古の昔、まず神の名を呼ぶために、私達は声を発した。そしてその声には高低があり、リズムがあった。

そして身体を使いダンスをした。

声とは、神や自然の名を呼ぶために人間が生み出した道具のような気がする。

会話などは、ずっと近代になってから考えられた、少し野蛮な、声の使い方かもしれない。

このマコさんの歌で呼びかけられると、神は天上で素晴らしく心地よい風を感じるに違いない。

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西行庵 錦秋

桜で有名な吉野山でも、山のそこ彼処で紅葉を見ることができる。

 写真は奥吉野にある西行庵。

奥に見える庵に西行の像が安置されている。

本当に小さくて狭い庵で、その隠遁生活を慕って芭蕉もここを訪れている。

昔から世界中に隠遁生活を送った隠者がいる。

しかしと思う。私たちはなぜ「隠者」を知っているのかと。

私は徳の高い隠者の話を見聞きするとき、ふっと名もなく消えた人々の消息に思いを馳せる。

日常を淡々と生き抜いた人こそ、真のすぐれた隠者ではないのかと思うことがある。

隠者であろうと努力することもまた、強烈な自己表現のような気がする。だから芭蕉も西行も後世に名を残しているのだなと、妙なことに感心してしまった。

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路地

私の生まれ育った場所は、大阪でも下町で路地が多い。

小学生の私は、いつも路地で遊んでいた。

路地から路地へ、車が通ることの出来ない道は、すべて子供の遊び場だった。

写真の路地の突き当たりには、墓地があり、その向こうには運河が流れている。

写真の右側、今は駐車場になっているけれど、昔は練炭と石炭のお店だった。

右下のマンホールに空き缶を置いて、よく缶蹴りをしていた。

いまでも時々路地で遊ぶ夢を見る。

夢の中で見た路地は、どこか懐かしく、暖かい感じがする。

実際にあった場所はどうかは思い出せないが、夢の中の路地を抜けると、

そこにはいつも、小さな小川と暖かい風が吹いてる。

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