すべてが過ぎている

自分に足らないものをいつも求めてきた。

自分を満たすものを探していた。

しかし、今気づく。

すべては過ぎているのだと。

あまりに持ち過ぎている。

過去を、自分を。

手放すことで得られるものの何と多いことか。

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何度目の宇宙だろうか

もし現代の宇宙理論が正しければ、今の宇宙は膨張し続け、いずれ収縮へと向かう。

宇宙が卵より、針先よりも小さくなり、質量が無限大に成ったとき、ビッグバンを起こし、また膨張へと向かう。

私たちの肉体の寿命とはかけ離れた、あまりに広大な宇宙の営み。

その宇宙にまた大気が生まれ、文明が栄える。

私たちの宇宙は、およそ137億年前に生まれた。

私たちが今を生きている宇宙は、果たして何度目の宇宙なのだろう。

無限と思えるこの宇宙の営みの中で、今この瞬間を生かされている自分とはなんだろうか。

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この一瞬、この瞬間、私の見た朝の風景。

数億年の巡りの中での出会い。

「解ること」と「気づくこと」

今年の春先、
あるきっかけが与えられて、
今まで理解できなかったことの幾つかが、
一瞬に「腑に落ちる」という経験をした。

その時、あぁこれが「気づく」ことだなと思った。

解るということとは、どこか頭で理解している。
「わかっちゃいるけどやめられない」という感じ。

しかし、気づくというのは、心に入り込んでしまうので、
「一度気づいてしまったら」後戻りできない気がする。

解るということは、時間をかけて努力すれば達成できるかもしれない。

しかし気づくということは、また違うような気がする。

自分の魂が無意識に追い求めているものが、
何かのご褒美のように、
ふっと自分の心に投げ込まれる。
大きな存在からのプレゼントのようだ。

解るというのは、時間がかかるが
気づきは一瞬にやってくる。

人生の中で気づきを得ることはあまりないだろう。

今年の春先に得たものは、最初ささやかな気づきのような気がしたが、
時間を経て段々と大きな存在になっていった。

気づきはきっと、求めても得ることができないのだろう。
しかし、いつ気づきが与えられても良いような、そんな生き方をしていたいと思った。

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