コルビジェの夢

親戚の結婚式があり、10年ぶりくらいに大阪のビジネスパークを訪れた。

大阪ビジネスパークが開発される前は、私の子供の頃の遊び場であり、大阪でもカオスに満ちた不思議な空間だった。

私の冒険心を満たしてくれた場所が、いつの間には取り壊され、ツインタワーの建築をきっかけに高層建築が建ちはじめ、美しい都市へのメルクマールとしての機能を果たしていった。

しかし、10年振りに訪れたOBP(大阪ビジネスパーク)は、どこか陳腐でありきたりの都市の演出であり、想像力を欠如した、予定調和の世界にしか見えなかった。

 OBPは人の意志ではなく、経済の意志によって築かれているような気がした。

自然からも人からも祝福されることのない場所。そのようなイメージを抱いた。

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どこにもである、イメージしやすいカフェテラスの雰囲気。

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ビルの表情は冷たく少し暗い。

コルビジェの夢はどこに消えてしまったのだろう。
高層建築とコンクリートの町は、私たちに何を残してくれるのだろう。

私たちは「美しい廃墟」を持つことはできない。

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都市は再生産され続け、立ち止まることが許されない場所になってしまった。

天衣無縫の布

友人の個展に、奈良の帝塚山へと夫婦で出かけた。

あそぶ布 ー高木康子の世界ー と題されて、ライフギャラリー アン・ドゥで開催されている。

作品は、染めと織りで表現された布で、服として着ることも出来る。

少しおかしな表現だが、彼女の作る服は、すべてがふつうに着こなされる訳ではなく、恐ろしいほどに身につける人を選ぶ。

高木さんの性格がオープンで自己表現に優れている分、彼女のエネルギーの強さに打ち勝つ自己表現力がないと、恥ずかしくて着こなせ無いというイメージを持つ。

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高木さんは、古くからの友人で、私を精神的に支えてくれている人でもある。

その人が、大分県の竹田で陶芸家のご主人と、半自給自足に近い生活を送っている。

そしてまさに天衣無縫の布表現を通して、明るく大きなオーラを、ほぼ直感的に布に映し、作品として仕上げいる。

躊躇無く表現される世界に少し驚き、そして感心した。身体表現に近い表現性がある。

表現しなければ癒されない魂が発露するとき、ものすごく大きなエネルギーになることを改めて認識した。

願い事と祈り

最近思うことがあって、数ヶ所神社を訪ねた。

天川弁財天、丹生川上神社 中社、丹生川上神社 下社、大神神社(三輪大社)などへ、参拝をしていてあることに気がついた。

神社は、願い事をする場所では無くて、祈りを献げる場所ではないのかと。

願い事と祈り、私の中では、大きく違う意味を持つ。

私は願うよりも祈りを献げたい。

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丹生川上神社 中社の欅