桜で有名な吉野山でも、山のそこ彼処で紅葉を見ることができる。
写真は奥吉野にある西行庵。
奥に見える庵に西行の像が安置されている。
本当に小さくて狭い庵で、その隠遁生活を慕って芭蕉もここを訪れている。
昔から世界中に隠遁生活を送った隠者がいる。
しかしと思う。私たちはなぜ「隠者」を知っているのかと。
私は徳の高い隠者の話を見聞きするとき、ふっと名もなく消えた人々の消息に思いを馳せる。
日常を淡々と生き抜いた人こそ、真のすぐれた隠者ではないのかと思うことがある。
隠者であろうと努力することもまた、強烈な自己表現のような気がする。だから芭蕉も西行も後世に名を残しているのだなと、妙なことに感心してしまった。