昨夜、相棒のpleromaさんが、「めがね」のDVDを見ていた。
映画の音声が気になり、本に集中出来ない。
音声だけを聞いてしまうと、後で私が見るときに新鮮さを失うような気もして、心が落ち着かない。
以前の私ならここで、物理的な方法(ヘッドフォンを使ってもらう等)で解決しようとするけれど、
今回は、自分の感情や自我にアクセスをして、解決を模索した。
苛立つ自分の心を観察する。何故苛立つのか、何に苛立つのか、身体はどのような反応をするのか。
そして、暴走しようとする自我に言葉を与えていく。
しかし、なかなか上手く解決を見いだせない。
本を脇において、気づきの瞑想を試みるが、すっきりと解消しない。どこかで我慢している。
そして、最後に
「この音を聞いている、このDVDを見ているpleromaさんが喜んでいる」
いう言葉を与え、その喜んでいる様子を想像すると、すっと自我のざわめきが治まった。
自分の自我が苛立つとき、その相手や対象にギフトを贈る。
分かってはいるけれど、ここまで効果があるとは。
何かすごく得したような気持ちになり、映画の音声を子守歌に、いつしか眠っていた。
小さな障害の陰に喜びと気づきが隠れていた。
明くる日、世界は秋の装いに代わっていた。
季節の巡りは、ゆっくりとゆっくりと訪れるのに、気づいたときにはいつも大きく変化している。