路地

私の生まれ育った場所は、大阪でも下町で路地が多い。

小学生の私は、いつも路地で遊んでいた。

路地から路地へ、車が通ることの出来ない道は、すべて子供の遊び場だった。

写真の路地の突き当たりには、墓地があり、その向こうには運河が流れている。

写真の右側、今は駐車場になっているけれど、昔は練炭と石炭のお店だった。

右下のマンホールに空き缶を置いて、よく缶蹴りをしていた。

いまでも時々路地で遊ぶ夢を見る。

夢の中で見た路地は、どこか懐かしく、暖かい感じがする。

実際にあった場所はどうかは思い出せないが、夢の中の路地を抜けると、

そこにはいつも、小さな小川と暖かい風が吹いてる。

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明日香の秋

桜井からの帰り道は、明日香を横切るのが近道。

私の住んでいる地方は少し車で走れば名所が多い。

時間に余裕がある時に少し遠回りをすると季節を感じる風景に出会う。

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写真は明日香の風景。コスモスが咲き、稲が干されている。

この風景を見ていてふっと感じたことがある。

私たちの生活は「過ぎている」と。

栄養が、ビタミンが、運動が、足らないのではない。

何かが過ぎている。すべてに調和が取れているのに、何かを求めている。

少しの間、自分に足りないものを考えるのではなく、過ぎているものを考えてみよう。

コルビジェの夢

親戚の結婚式があり、10年ぶりくらいに大阪のビジネスパークを訪れた。

大阪ビジネスパークが開発される前は、私の子供の頃の遊び場であり、大阪でもカオスに満ちた不思議な空間だった。

私の冒険心を満たしてくれた場所が、いつの間には取り壊され、ツインタワーの建築をきっかけに高層建築が建ちはじめ、美しい都市へのメルクマールとしての機能を果たしていった。

しかし、10年振りに訪れたOBP(大阪ビジネスパーク)は、どこか陳腐でありきたりの都市の演出であり、想像力を欠如した、予定調和の世界にしか見えなかった。

 OBPは人の意志ではなく、経済の意志によって築かれているような気がした。

自然からも人からも祝福されることのない場所。そのようなイメージを抱いた。

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どこにもである、イメージしやすいカフェテラスの雰囲気。

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ビルの表情は冷たく少し暗い。

コルビジェの夢はどこに消えてしまったのだろう。
高層建築とコンクリートの町は、私たちに何を残してくれるのだろう。

私たちは「美しい廃墟」を持つことはできない。

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都市は再生産され続け、立ち止まることが許されない場所になってしまった。