エルちゃん劇場終わりました

春の穏やかな日、

遠くで救急車のサイレンが鳴り

吉野行きの電車の音がかすんで聞こえる。

風にのった花びらが

どこからともなく、舞飛んでくる。

鶯やコジュケイの声がこだまする。

朝の散歩から帰り、

おいしそうにご飯を食べた後

ヨーグルトのパックをなめていたエルク。

急に発作を起こして、

数分後私たちの腕の中で

エルクの魂はボディを離れました。

そのことがまるで当然であるかのように

エルクは、光になり、宇宙に広がって行きました。

この長閑かな春の日

エルクの息する音が聞こえてきません。

エルクと呼んで駆け寄る姿がみえません。

雉の鳴き声は聞こえるのに、エルクの足音が聞こえません。

前回の発作から1ヶ月

私はエルクから多くのことを学びました。

死のこと

大切なものを失うこと

エルクの発作を通して

大きな気づきもありました。

でもエルクが私に与えてくれた最大のものは

愛するという心、慈しむこころ

愛おしいという思いです。

私は涙を拭きながら、この文書を書いています。

この涙には、エルクを失った悲しみの他にも

生きることの意味、死の意味、

愛すること、思うこと

生きていくこと

人が人であるために大切なこと

悲しみ、慈しみ、

喜び、楽しみ

すべてのものが混ざり合った涙です。

エルクが私に愛すること、慈しむことを

教えてくれなければ、私はただ悲しみの涙を流したでしょう。

エルクほんとうにありがとう。

どんな感謝をしても言葉がありません。

エルク、エルク、エルク

ほんとに、ほんとにありがとう。

エルク、愛しているよ。

芭蕉の音

「私は 古い池に 蛙が 飛び込む音を 聞いた」

この状況を芭蕉は、

「古池や 蛙飛びこむ 水のおと」

と俳句にした。

実際にこの 「水のおと」 を聞いたのは芭蕉だけであり、私には空想することしかできない。

そしてこの空想は、どんどん拡がり、日がな一日この俳句が、私の内を去来する。

この芭蕉によって開示された世界は、途方もなく豊かで大きく、様々な光景となり、音となり、光となる。

この音を聞いた瞬間の世界から、少し過去へ、少し未来へ、芭蕉以前の世界へ、芭蕉以後の世界へ、

太古の世界へ、無の世界へと「水のおと」の波紋が広がる。

 

芭蕉はこの俳句で自分の経験をきっちりと語り、そして自分を消す。

「私は 古い池に 蛙が 飛び込む音を 聞いた」

この極めて私的な芭蕉のこころの有り様が、存在すべてに思いを巡らすほどに私を捉える。

芭蕉という個性が、時間を超え、土地を越え、普遍性として、大いなる存在として、私には感じられる。

15文字の曼荼羅。非自己であることの存在。その豊かさ。

いつの日にか、芭蕉と同じ「水のおと」を聞くことができるのだろうか。

 

P1000944-2 DMC-G1 (45mm, f/7.1, ISO100)

P1000711 DMC-G1 (23mm, f/7.1, ISO125)

SDIM4330 SIGMA DP2 (24.2mm, f/5.6, ISO100)

SDIM4395 SIGMA DP2 (24.2mm, f/7.1, ISO100)

P1000287 DMC-G1 (23mm, f/9, ISO100)

雲はマインドに似ている

空を見上げると、雲に覆われて太陽が見えない。

花に向けたカメラを脇に提げて、

ゆっくりとその場所にたたずむ。

その場所にくつろぎ、ただ雲が去るのを待てばいい。

どうせ自分の力で雲を消すことはできないのだから。

 

花の姿に見とれていると、

額に暖かなエネルギーを感じる。

雲が切れ始め、ゆっくりと、おぼろげに太陽が姿を見せ始める。

草花が光を透過して、透明に輝き始めた。

 

雲はマインドに似ている。

本来の自分を見ようと思っても、

雲が姿を変えて現れては、太陽を被ってしまう。

少し、光が差し始めても、また次の雲が光の前を覆ってしまう。

自分の力で雲を払うことは出来ない。

太陽を覆う雲は、自分の努力や我慢で消すことは出来ない。

 

ただその場所にくつろぎ、雲を眺める。

そして、雲を受け入れたとき、

太陽のエネルギーで、厚い雲が少しずつ溶け始める。

雲の切れ目からゆっくりと太陽が姿を現し、

私を光で満たす。

 

どんな厚い雲の向こうにも、青空が拡がり、

太陽があることを私たちは知っている。

そしてその太陽の向こうには、宇宙があることも。

SDIM3794 SIGMA DP2 (24.2mm, f/8, ISO100)

SDIM3797 SIGMA DP2 (24.2mm, f/8, ISO100)

SDIM3791 SIGMA DP2 (24.2mm, f/8, ISO100)

私は、努力している花、緊張している花、我慢している花を見たことがない。

花はその与えられた場所々で、くつろぎ、自分を受け入れている。