秋は空が高く雲一つない日がある。
李白の詩に
『故人西の方 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆遠影 碧空に尽き
唯見る 長江の天際に流るるを』
というのがある。
秋、雲一つない空を見ていると、いつもこの詩が思い出される。
碧空の尽きる場所とはどんなところだろう。
この日は、雲一つない晴天
夕方まで雲を見ることが無かった。
光と風の交わる場所で
秋の夕暮れは一際美しい。
日が暮れ、稜線の茜色も消えかけるとき、家々の窓に薄明かりが灯っていることに気が付く。
ふと、人恋しい自分に出会う。
天響祭に友人が出演するので、雨上がりの明日香へと出掛けました。
和太鼓の演奏を披露する場としての天響祭で、友人のユニット「TERPSICHORE」は異彩でした。
友人の夢に現れた神と踊り子、龍と霊力の物語を太鼓、横笛、声楽そして踊りで表現しています。
最後に踊り子の姿を借りた神は、この地で満たします。
明日香の地に相応しく、天と地の依り代としての芸能を感じました。
しかしこの友人、普段は大人く、エネルギーも強くは感じさせないのに、舞踏や太鼓をさせると、突然人が変わった見たいに、表現者としての身体になります。う~ん、やっぱり神の依り代なんでしょうね。
この神様が頭に着けているヘッドドレスは友人のpanaさんの渾身の手作り作品です。詳細は panaさんのブログをご覧下さい。
石牟礼道子に「祈るべき天と思えど天の病む」という歌があります。
天もまた、地の有り様によって、病んでしまう。
祈るべき天の病むことのないように、私たちもまた、祈らなければならないのかもしれません。