自分の写真を見ていると、その向こうに海が見えるような気がする。
晩秋の日本海を見てみたいと思った。
光と風の交わる場所で
自分の写真を見ていると、その向こうに海が見えるような気がする。
晩秋の日本海を見てみたいと思った。
ゆっくりと夏が去り、朝露に秋の気配がする。
この寂しさ、切なさと出会いたくて、写真を撮っているような気がする。
草花に仏性はない、仏性が草花だと知る。
先日の9月9日、重陽の節句の日、吉野山の麓、梅の庵でオカリナとシンセサイザーによるコンサートが行われた。
重陽とは、陽が重なることで、特別な意味を持つ。
周易では、奇数が陽、偶数を陰とし、9を陽の最大数にした。陽の最大数が重なるとき力が強すぎで、その災いから逃れるために、かっての中国や日本では行事が行われた。
周易の世界では、最も強い陽が重なる卦を、天の上に天が重なる「乾為天(けんいてん)」とした。
64卦のなかで最も力のある卦で、龍に喩えて卦の意味が語られている。龍が潜んで好機を待つ「潜龍勿用。(せんりゅうもちうるなかれ)」から始まり、絶頂期を迎え、最後の「亢龍有悔。(こうりゅうくいあり。)」で この卦は結ばれている。
陽が極まれば陰に転じる易の教えの通り、極まった龍は、行き過ぎて、退くことを知らず、力が無くなり、悔いることになると教えている。
強すぎる陽の災いから逃れるために、各地で邪気を払う行事が行われていたようである。
何げなく参加したイベントで、重陽ということの意味を新たに考えながら、音楽を聴いていると、龍が誕生し、世に出て、もう一度天に帰っていく姿が浮かんできた。上手く進むこと、退くことを易はいつも教えてくれる。
吉野山の麓の小さな庵に、素朴なオカリナの音と、重なるシンセサイザーの音に、参加者の人たちが打つチベットのシンギングボウルが響き合い、不思議な音空間を作り出した。
思いがけずたくさんの気づきを頂き、とても満たされた時間を過ごす事が出来た。
このコンサートを企画したユニティベルの梅本さんと演奏者 野上さんに感謝します。
吉野建てを利用した梅の庵
梅の庵 梅本さん
演奏者の上野さん
不思議な梅の庵